久留米市を流れる九州一の大河筑後川は、昔から筑後平野という豊沃地帯を造ってきました。しかし、その反面大変な暴れ川で、一夜にして川底の流れが変わることから、一夜川という異名を持っています。大洪水に苦しめられていた人々は、これを神業、神の祟と考え、そこで神に対する深い信仰が生まれ、水神信仰となったのです。
その後、世の中が次第に複雑化するにつれて、水神の信仰も分割化し、河童の信仰も生まれ育ったものと思われます。そこで田主丸には、昔から荒五郎大明神をはじめとする様々な河童の信仰が生まれ、各所で祭るようになりました。上半身は裸で、フンドシをつけて、頭の上にはへこみ(頭の皿)がある九千防河童や、えんどう河童など大洪水を伏せる神として信仰を重ねてきました。
出典:公益財団法人 久留米観光コンベンション国際交流協会(久留米ほとめきの街 観光サイト)
筑後平野を雄々と流れる筑後川は、阿蘇外輪山に源を発し大分、熊本、福岡、佐賀の4県を潤し、不知火燃ゆる有明海へそそぐ、全長143キロという九州一の大河です。 利根川の「坂東太郎」に次ぐ「筑紫次郎」の名があり、日本を代表する河川として知られています。その悠々たる流れ、清らかな水脈と豊かさは、九州のシンボルであり母なる川として地域の歴史や文化を育んできました。
川は「文化の発祥地」といわれるだけに、この川の流域には数々の史跡がみられ、また、景観がつづる自然美も、悠久の流れがもたらす恩恵ともいえます。 筑後川は荒れ川として恐れられてきたが、古くからの治水事業や上流ダム群の建設、また昭和59年に完成した筑後大堰等によって、流水量の調整ができるようになり水害防止、上水道や農業用水の取水など他方面に役立っています。
出典:公益財団法人 久留米観光コンベンション国際交流協会(久留米ほとめきの街 観光サイト)
久留米市にある筑後川に架かる重要な橋梁です。久留米大学前に位置し、筑後川の両岸を結ぶ交通の要衝として地域住民や学生にも親しまれています。
九州北部、福岡県南西部に位置し、福岡県第3位の人口約30万人を有する久留米市。筑後川の恵みに育まれた自然豊かなまちです。
江戸時代には久留米有馬藩の城下町、近代以降は久留米絣に代表される伝統工芸やゴム産業など「ものづくりのまち」として発展してきました。
現在も交通の要衝として県南地域の中心地であり、都市機能が充実。ラーメンや焼きとり、日本酒、フルーツなどの多彩なグルメをはじめ、様々な魅力にあふれています。また、人口10万人あたりの医師数は、全国の政令市、中核市でトップクラス。古くから「医者のまち」として知られ、市内には、32の病院と300を超える診療所があり、医療環境が充実しています。
出典:久留米シティプロモーション実行委員会(久留米シティプロモーション)
2028年に創立100周年を迎える久留米大学は、長きにわたり地域社会の医療、産業、そして文化の多岐にわたる発展に貢献し、総合大学としての確固たる歩みを重ねてきました。
現在、本学は6学部14学科と4つの大学院研究科を擁するほか、付属の高等学校・中学校、臨床検査専門学校、そして2つの付属病院を運営しており、西日本地域を代表する総合大学の一つとして、その存在感を高めています。
本学の泌尿器科学講座は泌尿器科として独立開講後70年を超える歴史を刻む伝統ある教室です。1954年初代重松俊教授、1972年第2代江藤耕作教授、1991年第3代野田進士教授、2003年第4代松岡啓教授と引き継がれ、2014年より井川掌が第5代として教室を主宰させていただいております。
出典:久留米大学泌尿器科学講座
久留米絣は、先染め織物のひとつで、糸の段階で括りにより、絣糸を作って染色します。木綿の糸を麻で括り、藍染めして斑模様を作り、別の染めパターンの糸を縦横に折り合わせることで、さまざまな布面を生み出します。
図案づくり、緯糸と経糸の括り、染め、織りなど30以上の高度な技術を経て生まれる久留米絣は、重厚な質感があります。また、久留米絣の製品は、木綿の持つ素朴な風合いと、絣模様の精巧さ、藍染めの美しさから、深みのあるものへと仕上がります。
出典:久留米市役所
知・仁・勇とは四書である中庸に記された、最も大切な三つの達徳とされています。
これから益々大きく変容していく近未来の泌尿器科学を見据えた時、これまで積み重ねられてきた泌尿器科医の知恵、仁の心、勇気をもう一度総括することによって、これらを是非次代に繋げたいという我々の思いを込めました。
「次代へ繋ぐ、泌尿器科医の知・仁・勇」というテーマのもと、手をモチーフに人々が手を取り合い協力し合う姿を描いています。「知 wisdom」「仁 compassion」「勇 valour」をもって、互いのつながりが生み出す結束力を通じて、未来へと続く新たな可能性を切り拓いていくことを目指しています。
また、手の模様は久留米絣をイメージしています。